伝説の阪急電鉄創始者 〜新規事業の革命児”小林一三”〜

あなたはプロ野球の阪急ブレーブスをご存知ですか? 現在のオリックスバファーローズの前身にあたるプロ野球球団。プロ野球球団を持っている親会社の歴史を辿ると、その時代にどの産業がお金を持っていたのかが一目瞭然です。

プロ野球球団を抱えるには多大な資金力が必要で、今から30年以上前は電鉄がプロ野球界を席巻していました。現在ではソフトバンクや楽天などECビジネス、DeNAなどのインタネットビジネスの会社が強いですよね。

時代を作った阪急

1944年から1988年までの間、プロ野球球団を保有していたのが電鉄。その名も阪急ブレーブスです。1989年には身売りをしてオリックスブルーウェーブになるまで、兵庫県西宮に本拠地を構え、プロ野球界で活躍した球団です。

その阪急ブレーブスの親会社が阪急電鉄。阪急電鉄は大阪梅田に本社ビルを構え、今も大阪駅近くには阪急百貨店があります。今でこそ阪急百貨店と聞いても耳馴染みがありますが、冷静に考えてみると電鉄×百貨店というありえない組み合わせ。

しかも大正という時代にこの斬新なアイデアを実現した男の名前が小林一三。

そんな時代の異端児、小林一三の業績に迫ってみます。

次々と斬新なアイデアで阪急を大きくしていった

小林一三は、元三井住友銀行の銀行マンで34歳で退社して、それから実業家の道を歩んでいます。そこからがとにかくすごい。まず、阪急路線を作ります。そして先述した阪急百貨店もそうですが、当時は今のようにあ大阪駅もなければ、あれだけプラットフォームも完成されていない梅田周辺に、突如として電鉄と百貨店を組み合わせて作ったのです。

阪急は路線の開拓のために、鉄道予定地の路線を開拓しながら、そのあたりの土地を買収して宅地開拓事業も同時に進めます。そうすることで、自然と交通手段に人が電鉄を使う仕組みを生み出したのです。

歌劇団まで作ってしまった

小林一三がすごいのはそれだけではありません。さらには阪急宝塚駅を開設して、アミューズメントパークとして宝塚歌劇団も作ってしまったのです。娯楽やホテル事業も開拓し、さらには関西を飛び出して関東にも進出しました。

しかし、残念ながら、東京進出してすぐに戦果が悪化したため、そこまでの成果は残せていません。

0→1を実現化した男

小林一三は昭和32年に84歳で他界しました。彼の業績、ビジネスモデル、プランは歴史を変えたと言っても良いでしょう。今の時代とは違い、資金調達の仕方も違えばインターネットもないので情報収集のやり方もかなりアナログだったと思います。

そんな中数々の、新規事業を立ち上げ、不可能を現実変えた人間力は物凄かったのではと思います。阪急電車に対する見方が逸話を聞くと変わりました。

ちなみに小林一三の話はNHKドラマ「わろてんか」で高橋一生さんがその役を演じています。

普通は考えつかないアイデアと、ここぞというニーズに答える柔軟さ、そして行動力と人間性が数々の偉業を達成させて背景になっているのでしょうね。

その生き様を見習って大きく生きていきたいものです。

<おわり>

k.okajiy

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