友達って何なのだろうと思うことはありませんか?
あなたに友達はいますか?
僕は友達について一体何なのだろうと思うことがあります。
「おかきん、おかきん」
中学校から僕はそう呼ばれていた。元来寂しがりやなところがあるのと、やっぱり狩猟民族だったので集団行動を潜在意識のどこかで望んでいるのかもしれない。
正直言ってそのあだ名は好きではなかった。でも自分に友達が出来るのなら、1人にならないのならそれだけで親しみを感じてくれるのならそれで良かった。
捨てたあだ名
その「おかきん」というキャラはいわば友達が欲しいために自分が作った架空の自分のだった。友達の前では”良いやつ”を常に演じようと努力していた。
そのおかげて、勝手に家に入ってきたり、変なやつも現れ出した。親しみやすいのも考えものだ。
社会に出てからも同僚にそう呼ばれていた。昔ながらの呼び名だから違和感はなかった。でも心のどこかで”本当の自分”になりたかった。正確に言えば友達の前で良いやつを演じている自分に嫌気がさしていた。元来お人好しな性格でもあるので利用されたことも一度や二度ではない。その度に「友達って何なのだろう?」と問いていた。
友達が1人もいなくなった時
その後、僕は「おかきん」を闇に葬ることに決めた。「おかきん」を闇に葬るということはイコール、友達を捨てるというわけだ。社会に出てから10代の頃の友人とは疎遠になっていたし、仲の良かった友達との関係にも疲れ果てていた。その時の周りからしたらはた迷惑だったかもしれない。でもそう決めるともう止まらない。
僕は一時期誰も友達がいなかった。それが普通になった。
友達と言われて違和感を感じた
友達がいない生活は確かに寂しさもあるのだけれど、気楽だった。そもそも友達と知り合いの境目って何なのだろうか?
人は皆”我”がある。2人でいると必ずどちらかが片方を尊重しないと関係が成り立たない。なら1人でいいではないか?そんな考えだった。
友達ってどこから?
その後、現在にかけて知り合いの数は増えた。しかし友達は少ない。というか僕には友達という線引きがいまだによくわかっていない。自分が仲が良いと思っていても相手はただの知り合いとしか思っていなかったり、その逆もよくある。
勝手に友達にしないでくれ、そう思うこともあった。ある程度の距離感が必要な人は特にだ。
気軽く友達にする人は気が回らない人が多いように思う。この人、人を大切に扱わないな〜みたいな。
でも友達と呼んでくれて嬉しい時ももちろんある。人に友人として紹介してくれた時は信用してくれているんだと素直に思う。
そういう人は大切したいと思う。人間は誰でも人に会いたくない時や、どれだけ分かり合えると思っている人でもすれ違うタイミングがある。そこで終わってしまったらその程度の仲なのだろう。逆にそれでも関係が続くのは真の友人と言えるのかもしれない。
まとめ
友人との巡り会えわせは相性やタイミングもあると思う。
人と付き合うにはパワーが必要だ。お互いを尊重しないと関係は成り立たない。相手を思いやる気持ちは、自分自身と向き合うことにもなり成長の機会ともいえるだろう。
僕は友達が少ない。でもそれで良いと思う。
今では数名でも友達がいるのならそれで人生は幸せだと思う。
出会ってくれて、付き合いのある人には感謝しています。ありがとう。
ただ、簡単に友達になったとか勘違いはしないでね。
おかじー
こんにちは、ちぃママと申します。
友達、って学生時代はあたりまえの存在ですが、社会人になって忙しくなると、何なのかなって思いますね。この記事を読んで、改めて考えさせられました。
さて、ずうずうしくもお知らせなのですが・・・ちぃパパ&ちぃママで運営するブログを、昨年9月にハテブからWordPressに移行したのでお知らせです。
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「鎌倉夫婦の陸マイラー研究室」
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