妥協は次の可能性を見つけるための通過点

「プロのギタリストになりたい」

僕の夢は現在叶っていない。ギタリストになりたいという夢は妥協した生活とともに散っていった。僕は十代の頃、就きたい職業はミュージシャンだった。他の選択肢は全く無かった。妄想の世界で10年後は東京ドームでワンマンライブをしてミュージックステーションの常連になっているはずだった。

「別にアマチュアのままでもいいか」

そう思ってしまうと夢というものは手の届かないところに行き、現実という世界に引き戻される。曖昧だった夢と現実の境目が明確になり、現実の世界に身を置くことを妥協というのではないだろうか。

十代の後半、持っているお金と時間は全て音楽に捧げていた。一攫千金を夢見て、有名になりたかった。夢を追いかける時間はとても楽しく、充実していた。バンド活動をしていたので、周りの仲間たちと一緒に夢を追いかけることができた。しかし、年を取るにつれて1人、また1人と音楽の世界から去っていく。

皆んな、夢を見ているだけでは生活していけないことに気が付いていくのだ。そしていつの間にか見てきた夢を思い出というクローゼットの中に閉じ込めて、部屋を出ていく。家族のために仕事を選び、生活のためにお金を稼ぐ。ごくごく当たり前のことだけど、それが妥協だと思う。

僕はその中でもしぶとく夢を追いかけた方だ。周りにプロのミュージシャンを目指している人が居なくなっても1人で活動を続けていた。

「夢は叶えるためにある」

背中を押してくれる応援ソングや、自己啓発本に良くありそうな言葉だけど本気でそう思っていた。

妥協すると人生負けだとも思っていた。だけどその日はやってきた。プロのミュージシャンとアマチュアのミュージシャン、境目がわからなかった。僕はギタリストだったのでプロのミュージシャンになるイコールプロのギタリストになるということだった。十代の頃は夢を追いかけるだけで必死だったけど、ある程度年を取って周りが見えてくるようになると、色々な情報や人の経験談も耳に入ってくる。

ギタリストとして食べていくのは狭き門だということも分かってきた。人は時間が経つにつれてかつての情熱が冷めていく。成功談ばかりに耳を傾けていたけど、圧倒的に夢を諦めて妥協した人の方が多いことも分かってきた。その方が現実的だった。実際にプロのギタリストとして食べていくには相当の忍耐と努力が必要で、その道で食べて行ける人はほんの一握り。ある程度の成功を収める前に、みんな辞めてしまうのだ。

僕もその1人で最終的には自分の夢を妥協して、将来安泰の道を選んだ。「堅い職業に就く」と呼ばれるやつだ。

心残りはやはりある。僕はいまだに楽器を弾き続けている。今でも好きだったミュージシャンのライブ映像を見ると胸が熱くなる。でも今更またプロのミュージシャンを目指そうとは思わない。

「妥協する」とは、ハードルの低いところでいうと実は高い服が欲しいけど、今はお金がないからこっちの手の届く服にしておこうみたい感じだろう。住む家や就職先なども、条件が合わず、妥協してワンランク下を選ぶこともあるかもしれない。

案外、妥協して選んだことの方が結局良かったりすることはないだろうか? 高い服はブランドだから高いだけですぐにダメになる素材だったり、住む家も高ければ良い生活が待っているという保証があるわけではない。妥協して選んだ家の方が近所付き合いも良好ということもあるだろう。「住めば都」とは良く言ったものだ。妥協したからと言って悪い待遇が待っているわけではない。

僕の夢もこれと同じで、もし妥協せずに今もプロのギタリストを目指していたら借金まみれの生活が待っていたかもしれない。ギタリストは結構お金がかかるのだ。妥協したからこそ、出会えた人もいるだろうし、新たに挑戦して見えてきた世界もある。「妥協」とはネガティブなイメージがあるかもしれないけど、一概に悪いことでもないのではないか。

プロのギタリスト以外でも、僕は将来高級車に乗りたいという夢があった。人目を引く高い会社を乗り回す自分を想像するだけで胸が熱くなった。免許を取って、いざ憧れの車に乗ろうと思ったとき、高すぎて手が届かないことに気が付いた。そして妥協して手の届く車に乗ることにした。でも、初めて乗った車は仲間と一緒にドライブに出かけて一晩中熱く語り明かしたり、好きなことデートした甘い思い出など、良かった思い出がたくさんある。妥協した時は何か釈然としなかったけど、結果的には関係なかった。

その後も高級車に乗ることはなく、軽自動車、ハイブリッドカーと乗り継いでる。軽自動車は税金が安くてコストパフォーマンス良かったし、ハイブリッドカーはガソリン代安くて最高だ。妥協したことでかなりの恩恵を得ている。

「妥協」とは新たな可能性に気がつくための通過点なのではないだろうか。

「今まであなたはこう思い込んでいたかもしれないけど、こっちの道もあるのですよ」

という新たな可能性を開くための儀式。プロのギタリストになりたいという夢も妥協して別の職業を目指したことで自分の新たな可能性や才能に気がつくことができた。

因みに僕の小さい頃の夢はプロ野球選手だった。僕はそれほど身体が強い方ではないし、精神的に打たれ弱いところもある。おまけに緊張してしまう方なので、プロ野球選手にもしなっていたら大変なことだった。活躍すれば良いけれど、試合に出るたびに毎日のようにニュースやスポーツ新聞で「ああだ、こうだ」言われたら確実に精神的に参ってプロの世界ではやっていけなかっただろう。この夢も妥協して別の道を選んだわけだけど、妥協して本当に良かった。

人にはそれぞれ身の丈というものがある。その身の丈以上の事や物を選ぼうとすると結果的に妥協しなければならない。でも結局行き着く先は自分に合っているものになると思う。

妥協しなければならない時に、人は自分自身と向き合える。妥協して諦めなければならなかった選択肢は、自分には必要なかったのだ。それでもずっと後悔するのなら、またチャンレンジするなど手が届くまで努力すればいい。

妥協する時は自分が成長するチャンスだ。自分の実力を知り、今後どうすれば良いのかを考える機会。新しい道にいくのか再チャレンジするのか。新たな可能性を開くための扉だと思う。その先にはきっと成長した自分がいる。後から振り返ったときに妥協したことが自分のターニングポイントになっていたことに気がつくこともあるだろう。

新しい可能性に出会うために「妥協」しよう。妥協は悪いことではない。僕はこの先も何かに妥協して、その度に新たな可能性に出会っていくだろう。

妥協は次の可能性を見つけるための通過点だ。

<おわり>