人と共有している時間が異なる瞬間は確実に存在する。
例えば、野球選手は打席でピッチャーの球の縫い目が見えることがあるらしい。
集中力の極限にまで達すると人は普通の人にはありえない現象を体験する。
F-1レーサーは時速300キロの世界で様々な判断を行なっている。
多分何も訓練を行なっていないと、その世界では何も出来ないだろう。
元プロ野球選手の江夏豊さんは全盛期の頃、マウンドでただそこにボールを置けば打者を打ち取れるという。
また、交通事故の接触の瞬間など、時間が止まった様に感じる。
時間という概念は時として、その形がズレる。
勝負事で大事なのは流れを読むということだ。
昔、空手をやっていた時に壁に当たったときスランプに陥ったことがあった。
初心者の頃はただ闇雲に組手をやっていれば良かったが、相手のレベルが上がることにより、通用しなくなってくる。
勢いだけでは太刀打ち出来ないのだ。
強い人と組手をした時、気が付けば負けていたということがある。
何故か?
徹底的に考えた。
強い人は自分の空間、即ち間合いを持っている事に気が付いた。
相手の間合いに入るとやられてしまう。
では、どうすれば良いのか?
絞り出した答えは自分のフィールド(間合い)を創ればいい。
逆転の発想だった。
後は相手をどう自分の間合いに引き込むか、駆け引きに勝てるか、である。
「勝負事には必ず流れは存在する」
そう、勝つ時負ける時、勝負は土俵に上がる前から既に決まっていたのではないのか、と思う位、何か目に見えない空気がその場を支配している。
それほど、流れを読む力は必要である。
悩みに悩み抜き、努力を重ねた結果、組手の途中で相手の動きが人形の様に感じる様になった。
次はどうゆう技を出して来て、こっちのどういう動きを待っているのかわかる様になった。
それを”読む”ことが出来た時、時間が以上に長く感じた。
フルコンタクト空手の場合、一発技を喰らうと下手をしたら死んでしまうかもしれないので、稽古に日々取り組む緊張感がそうさせたのかもしれない。
格闘技をやっていた人はわかると思うが単なる殴り合いだと思ったら大間違いだ。
相手と向き合った時、ほんのすこし肩が動きそうな気配だけで次の動きを察知し、瞬時に次の組立方を判断する。
高度な駆け引きの上で試合は成り立っている。
故に、流れを引き寄せることが非常に重要である。
その場の空気を制する者が試合を制する。
何が言いたいのかと言うと、我々が共有している時間=空間を支配するということである。
極限に集中した世界では時の流れがゆっくりに感じるが(現に科学でも証明されているらしい)
其処まで達する事が出来るか、そして集中した相手より上回る事が出来るかが肝心だと、私は思う。
組手では、その一戦の空間を制したと思った時、技が決まる事が多い。
相手の隙が見えてくる。
前述した江夏豊さんのそこにただボールを置くだけの感覚で技が決まる様な境地がある。
それを人は”極める”というのだろう。
例えるならば、日本庭園で竹がカポーんとなっているのを澄んだ気持で眺めている、あの境地である。
研ぎ澄ました先の世界には喧騒は何もなく、穏やかな物だっりする。
やっている事は争いかもしれないが気持は澄み切っている、そんな時、
人は空間を支配する
KOHEI
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