・20代の頃、本気でギタリストになるのを夢見ていた。
他の道もあったのだろうけど、20代の頃、もうその道しか考えていませんでした。
当時は今の様にまだ、自宅で1人で作曲したり出来るような初音ミクみたいなソフトもなく(あってもかなり高額だった)、まず音楽するならバンド組むって感じです。
20代もそこそこになってくると周りに音楽をやっている人はほとんどいなくなってきます。
したがってバンドを組むとなると、必然的にバンドのメンバー募集をするか、応募するかのどちらかになる。
自分で募集しても良かったのですが、何となく自分を売り込んでいくのにロマンを感じていたので、専らネットで見つけたギター募集の記事に応募していく、といった感じでした。
応募して、顔合わせをしたりするのだがそこは音楽をやっているという共通点はあれど、所詮他人同士。
スタジオで音合わせをやる前に御破綻。
何てこともよくあった。
運よく、スタジオに入れたとしても当然こちらが加入する側なので用意された音源のコピーから始まります。
当然、素人が作った音源なので譜面なんてないから耳コピーです。
今でこそ、耳コピーも慣れたものになりましたが当時は全然フレーズが聞き取れなかった。
課題曲があまりに難しかったので、コードを教えてもらえますか?と聞いたら
「耳コピーも出来ない人には要りません」
といわれ門前払い何てこともありました(笑)
・ひたすら猛練習の日々
やはり、ギタリストを志す者として断り続けるのは相当に応えた。
だが、何故かそこで諦めるという選択肢は皆無でした。
「認められるまで、腕を磨けばいい」
単純にそう考えていたある時、中古電気屋でMTRを見つけました。
このMTRはギターの音は勿論、トラックごとに音源を録音出来るし、マイクで音声も取れる。
そこで早速、自作の曲を録音してみたらこれが中々の出来だったのです。
でも、まだまだ人に聞かせるにはお粗末な物だったので、後に同時最初のMTRに買い替えることにした。
新しいMTRは8トラック入れることができ、パネル式でエフェクターも内蔵。録音システムもCDが作れり程の優れものだった。
直ぐに使いこなせた訳ではなく、当面はギター応募活動に尽力を注いでいました。
ある時、すでにバンドとして勢力的に活動しているバンドのメンバー募集の記事を見つけました。
何やらメンバーが脱退するらしく、その後釜を募集していた。
迷わず応募して音源をもらい、バンドのライブにも顔を出しました。
後日、スタジオで音合わせとなったのだが、あの時の屈辱は忘れません。
結果から言うと、上手くいかなかったわけですが、その理由はバンドのギターの音はテレキャスタイプの真の細いタイプの音を求めていたが、自分はバリバリのレスポールタイプで極太の音をかき鳴らしていた。
しかもこの時代はテンションコードなどまるっきり使えなかったので、5度コードの音しか拾う事が出来ませんでした。
一曲合わせた時、全員が「何か違うぞ?」という面持ちだった(実際に違うコードで弾いていた)。
それに加え、加入希望者にはもうすでに出来上がったグループに溶け込まなくてはならないというハードルがあります。
バンドも所詮は人間関係。
第一印象で決まる所は簡単にいうとコンパみたいなもの。
しかもこちらは選ばれる側なので、容赦のない言葉やガックリした顔をされたりする。
…特にこのバンドはその中でも印象的でした。
「また連絡します」
と言ってそれっきり。
まるで、面接みたいだ。
まだ面接なら、履歴書書いたり応募動機を考えたりしますが、メンバー応募は曲を覚える時間と、その曲の練習時間を合わせて多大なる労力がかかる。
以上の理由から断られた時のプライドの傷付き度は半端じゃありません。
・それなら売り込む素材を作ってやれ
あっちから音源を渡されるのなら、こっちも音源を作ってやれ。
てな考えから本格的な自分の売り込み音源集を作る決意をしました。
事前にこれを渡す事により、どういうギターが好きでどんな音なのかも分かるし、企業でいうホームページを作成する様な感覚。
どうせ作るならとことんこだわりタイプなので、ギター、ベース、ボーカルを入れて正に完全コピーの音源を作った。中には全パート耳コピーしたものや、好きなバンドのコピー、多少難解に聞こえる音源も取り入れました。
コピーだけじゃ物足りなくなり、自作の曲も何曲か作り、結果的にCD1枚出せるくらいの量になり、その音源を友人にCD-Rに焼いてもらい本格的なデモ音源が完成しました。
・作り込み過ぎた音源
さて売り込み音源も出来たこと出し、またギタリスト募集を探す日々が始まった。
今度は言わばプレゼン資料があるみたいなものだか心強い。
早速、ギタリストの募集をしていたバンドに音源を送ってみました。
そのバンドはB’zのコピーバンドだったので別にこちらの音源を渡す理由はなかったのだが、多分誰かに聞いてもらいたかっだのだろう。
その反応はというと…
「こう言うの、お好きなんですね」
程度のものでした。
それもそうです。
元々バンドはそれぞれのパートがあってそこを担当する訳だから、自分が作った全パート入りデモテープはケンカを売っている様なものである。
それにかなり凝って作り込んでいたので、もはやギタリストの域を超えて1アーティストの領域だったのです。
聞いた方からすると、頑張ってよく作ったけど、もうバンドいらねんじゃね?ってなもんだったでしょう。
今なら、それをそのままレコード会社に送り付ける手も考えたが、同時はあくまでバンドのギタリストにこだわっていました。
・そこから得たもの
もう音源も作れるし、音源作る為のコピーで楽器を死ぬ程練習していたので、「だったら、もう自分でやってしまえ!」と決意し、音楽好きが集まるスタジオやギター教室に出入りし、結果的に自分主体のバンドを組むことが出来ました。
エラく遠回りしたものだが、その過程は無駄ではありませんでした。
バンドの音をまとめるときや、簡単な音源を作る時に非常に役に立ちました。
何より、自分で憧れのアーティストと同じ様に音を1から作り上げる事が出来たのは本当に自信になったのです。
誰も認めてくれないなら、自分で始めればいい。
誰かの決めたフィールドで上手く立ち回れないなら、自分で土地を作ってしまえばいい。
自分の評価を下せるのは自分自身だけだ。
自分を信じて行動を続ければ必ず形になるし、結果は後から付いてきます。
そう信じているし、ギタリストとしての活動もこの社会も同じ様に人間が作っている。
そして、その社会の枠組みの中心になり、築き上げていくのは自分自信です。
最後までお読み頂きありがとうございます。
KOHEI
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